1989年8月、ニューヨークのイースト・ヴィレッジで、26歳のスイス人ダンサー、モニカ・ビアーレが姿を消した。やがて捜査員がポート・オーソリティ・バスターミナルの荷物預かり所で見つけたのは、軍用ダッフルバッグ。その中に収められた白いバケツを開けると、猫砂の中から人間の頭蓋骨と骨が現れた。
逮捕されたダニエル・ラコウィッツをめぐっては、さらに信じがたい話が広がった。ビアーレを殺害した後、アパートの浴室で遺体を解体し、頭部などを鍋で煮た。自分で遺体の一部を食べた。そして残った肉をスープにして、トンプキンス・スクエア・パークのホームレスに振る舞った――。後に法廷では、ラコウィッツから渡されたスープの中に「人間の指」を見つけたと証言する男性まで現れた。こうして彼は、ニューヨーク犯罪史に「トンプキンス・スクエアの食人鬼」として名を残すことになる。
南テキサスからニューヨークへ――マリファナと宗教に傾倒した男
ラコウィッツは1960年12月24日生まれ。少年期から青年期を南テキサスで過ごした。父トニーはロックポートで保安官代理を務める厳格な人物だったとされる。1989年の『Village Voice』によると、ニューヨーク時代の知人は、ラコウィッツの母親が彼の幼少期に心臓発作で死亡したと語っている。本人は少年時代に精神科施設へ何度か入れられ、9歳から11歳ごろにはリタリンを服用させられたとも話していた。14歳ごろに電気けいれん療法を受けたという話も元同居人にしていたが、これら幼少期の医療歴については本人や知人の回想に依存する部分が大きい。
父との関係は特にマリファナをめぐって悪化した。10代のラコウィッツの部屋からマリファナが見つかると、保安官代理だった父親は息子を自ら警察署へ連れて行き、所持容疑で手続きを取ったという。19歳になるとラコウィッツは陸軍へ入り、射撃の訓練を受け、約14週間にわたって軍の法執行関係の教育も受けた。除隊後には父と同じ保安官代理になることを希望したが採用されなかった。警察官になりたがる一方でマリファナを強く支持し、後には「自分がテキサスを支配すれば、マリファナを吸う人々が暮らせる土地を作る」といった話までしていた。
1980年代半ばまでにニューヨークへ流れ着いたラコウィッツは、ボワリーの安宿などを転々とし、やがてロウアー・イースト・サイドやトンプキンス・スクエア・パーク周辺の顔なじみになった。主な収入源の一つはマリファナの販売だった。大量にマリファナを吸うことでも知られ、知人の一人は、それが彼の周囲に若者が集まる大きな理由だったと証言している。住居を失って公園で寝ていた時期もあったが、食料品店の前で買い物客に食材を寄付してもらい、鶏肉、ジャガイモ、パン、野菜などを大量に調理して、公園のホームレスへ週に数回配ることもあった。時にはパンケーキを大量に焼いて持っていったという。後の「人肉スープ」の噂が現実味を帯びた背景には、ラコウィッツが事件以前から大鍋の料理を公園で配っていたという事実があった。
彼は宗教的な妄想めいた話でも知られていた。自分の誕生日である1960年12月24日の数字に特別な意味を見いだし、自らを「主」のように語ったり、将来自分の信奉者が勢力を握ると予言したりしていた。「966」という数字を特別視し、周囲には自分の宗教を作る構想を話していた。後年の資料ではこれが「Church of 966」と呼ばれている。本人は幼いころからキリストに似た存在の幻を見たとも話し、アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』に挟んだ「9」と「6」の図形から、自分がキリストの再臨である証拠を読み取っていたという。
生きた雄鶏を連れて歩く姿も有名だった。トンプキンス・スクエア周辺では長髪とひげ、鶏、マリファナ、絶え間なく続く宗教談義がラコウィッツのトレードマークになっていた。周囲には彼を危険視する人もいた一方、「奇妙だが害のない男」と考えていた人も多かった。その印象が崩れるのは1989年夏のことである。
モニカ・ビアーレとの同居、そして鍋の中の頭部
モニカ・ビアーレはスイスのザンクト・ガレン出身で、ダンス教師・振付師としての教育を受け、ニューヨークではマーサ・グラハムのダンススクールでも学んでいた。1989年夏、住居を探していたビアーレはトンプキンス・スクエア・パークでラコウィッツと知り合い、イースト9丁目700番地のアパートに移り住んだ。二人が一時的に性的関係を持ったことを示す証言はあるものの、基本的には家賃を分担する同居人だったとみられている。
同居生活は長く続かなかった。ビアーレは間もなくラコウィッツに退去を求めるようになった。以前ホームレス生活を経験していたラコウィッツにとって、再び住む場所を失うことは強い恐怖だったらしい。元同居人シルヴィアによれば、彼は数日にわたって「ビアーレを殺す」と口にしては、その数分後には「愛しているから殺さない」と言い直すことを繰り返した。8月17日にはシルヴィアに、殺害後の遺体処理を手伝ってほしいという話までしたが、過去にも突飛な発言を繰り返していたため、本当に実行するとは思われなかった。
事件が起きたのは8月19日とされる。その夜、まだ荷物を残していたシルヴィアがアパートを訪れた。外から見ると部屋は暗かったが、テレビだけが大音量で鳴っていた。ビアーレの部屋をノックしても返事はない。台所へ向かうと、コンロの上に大きな鍋が置かれていた。
シルヴィアが1989年の『Village Voice』に語ったところでは、その鍋の中にビアーレの頭部があった。黒く変色し、目を閉じた状態だったという。さらに浴室の入口まで行くと、浴槽には肉の大部分を取り除かれた胸郭のような骨と、血液や内臓らしきものが残されていた。シルヴィアは動揺して部屋を出た後、公衆電話からラコウィッツのポケットベルを呼び出した。彼の反応から、シルヴィアが何を見たのかを理解していることは明らかだったという。
二人はその後、アパートではなくトンプキンス・スクエア・パークで会った。シルヴィアの証言では、ラコウィッツはそこでビアーレを絞殺したことや、その後に遺体を解体したことを語った。頭部と四肢を切り離し、浴室で骨から肉を取り除き、細かな組織をトイレへ流したとも話したという。本人の説明には後年大きな変化が生じるため、こうした細部をすべて確定した事実とみなすことはできない。ただし2005年のニューヨーク州最高裁判所の決定では、逮捕後にラコウィッツが行った詳細な供述と、ビアーレの遺骨に対する法医人類学的所見が一致していたことが記されている。
数日後、アパートには死臭が漂い始めた。ラコウィッツはさらに清掃と遺体処理を進めた。シルヴィアと別の元同居人ショーンによれば、頭部は再び煮られ、皮膚などの組織を取り除かれ、最終的にはほぼ頭蓋骨だけの状態になっていた。2004年の審理を取材したamNewYorkも、ビアーレの肉がキッチンの鍋で骨から煮落とされたと報じている。
猫砂に埋められた頭蓋骨――遺体発見までの奇妙な経緯
それほど異様な状態の遺体を知人が見ていたにもかかわらず、ビアーレの遺骨が警察に発見されるまでには時間がかかった。シルヴィアはラコウィッツを警察へ突き出すことをためらい、ショーンも8月22日にアパートを訪れた際、フライパンや冷凍庫に肉があるのを目にしたものの、直ちに通報したわけではなかった。8月26日に再び訪れたころには部屋はかなり片づけられていたが、強い異臭が残っていたという。
一方、ラコウィッツは自分から事件を隠し通そうとしていたとは思えないほど、周囲に殺害の話をしていた。知人の証言では、事件前にも「殺す」と言い、事件後にも会う人ごとにビアーレの話をしていた。このためトンプキンス・スクエア周辺では、新聞が事件を大きく報道する前から「女性が殺され、切断された」という噂が広がっていた。
やがてショーンがアパートの建物管理人に事情を話し、警察が動き始めた。しかし最初の捜索では殺人を直接示す証拠が見つからなかった。ラコウィッツはすでに室内を徹底的に清掃していた。警察はトイレまで取り外して調べたが、遺体の一部は発見できなかった。アパートのドアには「もうスープはできたか」という意味の落書きなどが残されていたが、それだけでは殺人の物証にはならなかった。
転機になったのは、元同居人たちの証言とラコウィッツ本人の供述だった。警察が事情聴取を重ねるなかで、彼は最終的に捜査員をポート・オーソリティ・バスターミナルへ案内した。そして荷物預かり所で軍用ダッフルバッグの受取証を示した。
バッグの中には白いプラスチック製バケツがあり、その中から頭蓋骨と複数の人骨が発見された。1991年当時のUPIは、骨が猫砂を詰めた容器に収められていたと報じている。頭蓋骨はビアーレのものと確認された。それ以前には別の保管施設に置かれ、後にバスターミナルへ移されたと『Village Voice』は伝えている。警察が殺害現場で遺体を発見したのではなく、殺害から数週間後、遺体の大部分が処理された状態で、ラコウィッツ本人の案内によってようやく残された骨へたどり着いたのである。
「人肉スープ」はどこまで本当だったのか
ラコウィッツが「トンプキンス・スクエアの食人鬼」と呼ばれる最大の理由は、ビアーレの肉を料理し、ホームレスに食べさせたという話にある。
この話を考えるうえで欠かせないのが、ラコウィッツがもともと料理を公園へ持っていく人物だったことである。彼は食料品店の客から食材を寄付してもらい、アパートで大量の鶏肉や野菜を調理してはトンプキンス・スクエア・パークへ運んでいた。週に2、3回食事を配り、朝にはパンケーキを持っていくこともあったという。つまり、殺人事件とは無関係な時期から「ラコウィッツの作った料理を公園のホームレスが食べる」という光景は日常的に存在していた。
殺害後については、複数の証言が残っている。ショーンはラコウィッツ本人から、ビアーレを公園のホームレスに食べさせるつもりだという話を聞いたと証言した。また、8月22日にアパートを訪れた際、フライパンと冷凍庫の中に肉があるのを見ている。シルヴィアはさらに、ラコウィッツがビアーレの脳を食べたと自分に話したと証言している。これらは目撃者の証言や本人の発言であり、残された肉をDNA鑑定してビアーレの組織と確認したという種類の証拠ではない。
それでも、噂は事件直後から公園内に存在していた。『Village Voice』の1989年の記事には、近隣住民の証言として、事件が新聞に出る前からホームレスたちが「ラコウィッツから昨日スープをもらった」という趣旨のことを冗談交じりに話していたと記録されている。話し方は冗談めいていたものの、少なくとも殺害直後の時期にラコウィッツからスープを受け取ったこと自体を前提とした会話だったという。
そして1991年の裁判では、この噂をさらに不気味にする証言が出た。2004年にラコウィッツの弁護士ドナルド・グラハムが説明したところによれば、1991年の裁判でホームレスの男性が証言台に立ち、ラコウィッツがトンプキンス・スクエア・パークでグループに配ったスープの中から「指」を見つけたと語った。その指はビアーレのものではないかと考えられていたという。
ただし、この指そのものが警察に押収され、DNAなどによってビアーレのものと証明されたわけではない。ここが「人肉スープ」の話を考える際の境界線になる。ビアーレの頭蓋骨と骨が実際に発見されたこと、遺体が解体され、骨から組織を取り除くために煮られたことについては、物証、法医学的所見、複数の証言が存在する。一方、「煮た肉をスープとしてホームレスに食べさせた」という部分は、本人の発言、知人の証言、公園利用者の話、裁判での証言によって形作られているものの、料理そのものは残されていない。
だからといって、単純な都市伝説として切り捨てるにも材料が多すぎる。殺害後に実際にラコウィッツからスープを受け取ったとする人々がいたこと、ラコウィッツ自身が食人について周囲に話していたこと、元同居人が鍋で煮られた頭部を見たと証言していること、そして裁判で「指」の証言まで出たことは記録に残っている。「多数のホームレスが確実にビアーレの肉を食べた」と断定することはできないが、「人肉スープ」という話が事件後に新聞がゼロから作り上げた怪談だったわけでもないのである。
精神異常による評決と、35年後に再び注目された事件
ラコウィッツは1991年に殺人罪で裁判を受けた。陪審は9日間の評議を経て、精神疾患のため殺害について刑事責任を負わせられないとの判断を下した。その後は刑務所ではなく、ニューヨーク州の司法精神医療制度に置かれ、最大警備のカービー法医精神医療センターに収容された。2005年の審理でも、裁判所は精神状態や薬物使用歴、事件について責任を認めない姿勢などを踏まえ、厳重な施設での収容継続を認めている。
事件から35年以上が過ぎた2026年9月、ABC『ザ・ビュー』司会者のサニー・ホスティンが、自分は1991年の裁判に参加し、精神疾患による評決を主張した「唯一の反対陪審員」だったと明かしたことで事件は再び注目された。ホスティンが当時、旧姓アスンシオン・カミングスとして陪審員だったこと自体は確認されている。一方、1991年当時の複数の報道では中心的な反対者を男性陪審員としており、10対2まで意見が割れていたとする記事もあるため、「ホスティン一人が残り11人を説得した」という現在の回想には疑問が残る。
だが、35年後の陪審員をめぐる論争以上に、この事件を異様なものにしているのは1989年の数週間そのものだろう。殺害予告を聞いた人間がいた。殺害直後の遺体を見たと証言する人間がいた。別の知人はフライパンと冷凍庫で肉を見た。そしてラコウィッツ自身も、自分が何をしたのかを周囲に話して歩いた。それでも警察がビアーレの頭蓋骨へたどり着くまでには時間がかかった。
最後に残ったのは、猫砂の中に埋められた頭蓋骨と人骨だった。その周囲には、鍋で煮られた頭部、冷凍庫の肉、本人が語った食人、殺害直後に公園で配られたスープ、そして「スープの中の指」という証言が折り重なっている。どこまでが完全に証明された事実で、どこからが証言と噂なのかを切り分けてもなお、ダニエル・ラコウィッツが「トンプキンス・スクエアの食人鬼」と呼ばれるようになった理由は十分すぎるほど残っている。
出典
Max Cantor — The Untold Story of the Tompkins Square Murder
The Village Voice, 1989
https://www.villagevoice.com/the-untold-story-of-the-tompkins-square-murder/Supreme Court of the State of New York — Matter of Rakowitz v Consilvio
New York County Supreme Court, 2005
https://law.justia.com/cases/new-york/other-courts/2005/2005-50310.htmlUnited Press International — Drifter not ‘responsible’ for dancer’s death
UPI, 1991
https://www.upi.com/Archives/1991/02/22/Drifter-not-responsible-for-dancers-death/8886667198800/United Press International — Killer seeks mental hospital transfer
UPI, 1995
https://www.upi.com/Archives/1995/10/18/Killer-seeks-mental-hospital-transfer/9784813988800/Tien-Shun Lee — Psychiatrist: Rakowitz ‘excited’ recalling grisly stew
amNewYork, 2004
https://www.amny.com/news/psychiatrist-rakowitz-excited-recalling-grisly-stew/Clayton Patterson — The case of the ‘Butcher of Tompkins Square Park’
amNewYork, 2011
https://www.amny.com/news/the-case-of-the-butcher-of-tompkins-square-park/Los Angeles Times — My Secret Life: Sober-Sided Times Reporter Ventures Into Raucous World of Tabloid Journalism
Los Angeles Times, 1991
https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1991-02-18-vw-1248-story.htmlLarry Celona, Stacie Fenster, Ronny Reyes — Sunny Hostin’s claim that she was lone holdout in NYC cannibalism trial shot down by multiple sources, reports from the time
New York Post, 2026
https://nypost.com/2026/09/24/us-news/sunny-hostins-claim-that-she-was-lone-holdout-in-nyc-cannibalism-trial-shot-down-by-multiple-sources/




