生後8か月で受けた包茎手術が、一人の少年の人生を根底から変えた。手術事故で陰茎を失った少年は、やがて精巣を摘出され、「ブレンダ」という名前を与えられて女の子として育てられることになる。両親にその道を勧めたのは、当時の性科学を代表する研究者ジョン・マネーだった。少年は自分が男児として生まれたことを知らされないまま成長し、女性ホルモンを投与され、さらなる手術を求められた。しかし、14歳で出生の秘密を知ると、彼は女性として生きることをやめ、「デイヴィッド・ライマー」として人生をやり直した。
のちに医学界を揺るがすことになる「ジョン/ジョーン症例」である。成功例として世界に紹介されていた治療の裏側で、本人と家族には何が起きていたのか。
包茎手術の事故で陰茎を失う
デイヴィッド・ライマーは1965年8月22日、カナダのマニトバ州ウィニペグで一卵性双生児の兄として生まれた。当時の名前はブルース・ピーター・ライマー。12分後には弟ブライアンが生まれている。父ロンと母ジャネットにとって、二人は待望の息子たちだった。
生後6、7か月になったころ、母ジャネットは双子が排尿時に苦しそうな様子を見せることに気づいた。ジャーナリストのジョン・コラピントが家族や関係者を取材してまとめた『As Nature Made Him』によると、当初はおむつが濡れることを嫌がって泣いていると思っていたが、陰茎を調べると包皮の先端が狭く見えたため医師の診察を受けた。双子は包茎と診断され、治療として割礼を受けることになった。
1966年4月27日、先に手術を受けることになったのがブルースだった。ウィニペグの病院で電気焼灼器を用いた割礼が行われたが、処置の最中に陰茎が深刻な熱損傷を受けた。組織を救うことはできず、ブルースは陰茎の大部分を失った。医学論文でも、割礼中の事故によって陰茎を失ったことが記録されている。
続いて手術を受ける予定だったブライアンの割礼は中止された。弟はその後、同じ手術を受けることなく成長した。双子のうち、たまたま先に手術室へ入った兄だけが、一度の医療事故によってその後の人生を大きく変えられることになった。
事故の知らせを受けたロンとジャネットが直面したのは、乳児の息子が身体の一部を永久に失ったという現実だった。当時は乳幼児の陰茎を機能的にも外見上も十分に再建する技術が確立されておらず、両親は、ブルースが成長したときに学校生活や恋愛、結婚をどのように経験するのかを強く心配した。父ロンは後年、男児同士で身体を比べるような場面で息子が傷つけられるのではないかと考えていたことを語っている。
そんな時期、夫妻はテレビでジョンズ・ホプキンス大学の心理学者・性科学者ジョン・マネーを知った。マネーは性自認や性役割の研究で高い評価を受けており、幼児期の性自認には大きな可塑性があり、早い段階から一貫して一つの性として育てれば、その性に適応できるという考えを主張していた。絶望の中にいた夫妻には、息子が女性としてなら幸福な人生を送れる可能性があるという説明が、一つの解決策に見えた。
「ブレンダ」として始まった新しい人生
両親はマネーに連絡し、ブルースを米国ボルティモアのジョンズ・ホプキンス病院へ連れて行った。マネーにとって、この家族には研究上も極めて珍しい条件がそろっていた。ブルースには一卵性双生児の弟ブライアンがいる。一方を男児として、もう一方を女児として育てれば、性自認の形成に生物学と養育がそれぞれどの程度関係するのかを比較できると考えられたのである。
1967年、ブルースが2歳になる前に性別再指定が始まった。17か月ごろに女児として育てる方針が決まり、21か月ごろには両方の精巣が摘出され、外性器を女性的な形に近づける形成手術も行われた。名前もブルースから「ブレンダ」に変えられた。
両親は女児用の服を着せ、髪を伸ばし、女児向けと考えられていた玩具を与えた。本人には、自分が男児として生まれたことも、乳児期に事故があったことも教えられなかった。性別再指定を成功させるには、家族を含む周囲が一貫して女児として扱う必要があると考えられていたからである。
ところが、成長したブレンダは周囲が期待したようには振る舞わなかった。母ジャネットの回想では、ドレスを嫌がり、人形よりも弟が持っている玩具に興味を示し、父親の行動をまねたがった。学校でも周囲の女児になじめず、立って排尿しようとしたり、女子トイレの使用を嫌がったりしたことが記録されている。本人も後年、幼いころから女の子であるという感覚を持てず、なぜ自分が周囲から女性として扱われるのか理解できなかったと振り返っている。
一方、マネーが医学界へ報告した経過は大きく異なっていた。ブルースとブライアンは匿名化され、「ジョーン」と「ジョン」と呼ばれた。マネーは女児として育てられた「ジョーン」が女性としての性自認を形成していると説明し、この症例を幼児期の養育によって性別を再指定できることを示す重要な例として紹介した。「ジョン/ジョーン症例」は、性自認の形成に養育が強く影響するという考えを支える有名なケースとなったが、家庭ではブレンダが女性としての生活への抵抗を強めていた。
ジョン・マネーとの診察と女性ホルモン
ブレンダとブライアンは成長する間、定期的にボルティモアへ行き、マネーの診察を受けた。成人したデイヴィッドとブライアンは後に、この診察を強い苦痛として記憶していたと証言している。コラピントの取材などによれば、マネーは性役割を定着させる目的で性的な内容を含む説明や画像を用い、兄弟に身体を見せることや、性的行為を模した姿勢を取ることなどを求めたという。成長するにつれて、ブレンダはマネーとの面会を強く嫌がるようになった。
思春期が近づくと、身体を女性として発達させる治療が加わった。幼児期に精巣を摘出されていたため、医療チームはエストロゲンを投与し、女性の二次性徴を起こそうとした。乳房が発達し始めたが、本人はその変化を嫌い、ホルモン治療にも抵抗した。
医療チームはさらに、将来は膣を形成する手術を行うことも考えていた。しかし、本人はそれを拒んだ。女児として育てられて十年以上が経っても、ブレンダは女性としての生活への抵抗を強め、マネーとの診察にも行きたがらなくなった。家族に対して、再びボルティモアへ連れていかれるくらいなら死んだ方がましだというほどの言葉を口にするようになった。
両親も追い詰められていった。二人は息子を救うために専門家の助言を受け入れ、その方針を成功させようとしてきたが、目の前の子どもは苦しみ続けていた。家族の中では出生の秘密を隠し続けなければならず、本人からなぜ自分が他の女の子と違うのかと問われても、本当の理由を説明できなかった。
14歳で知らされた出生の秘密
1980年ごろ、14歳になったブレンダは、女性として生きることをほとんど拒絶する状態になっていた。さらなる女性化手術を拒み、女性ホルモンも嫌がり、男性として扱われたいという意思を強めていた。そこで父ロンは、長年隠してきた事実を本人に話すことを決めた。
父親は息子に、男性として生まれたこと、乳児期の割礼で陰茎を失ったこと、その後に医師の助言を受けて精巣を摘出し、女の子として育てることを決めた経緯を説明した。話しながら父親は泣き崩れたとされる。長年、自分が他の女児と違う理由を理解できず苦しんできたブレンダにとって、この告白は衝撃であると同時に、初めて自分の人生に説明を与えるものでもあった。本人は後に、このとき初めてそれまでの出来事がつながったという趣旨の回想を残している。
出生の秘密を知った後、彼は女性としての生活をやめた。男性の服装を選び、男性名を使い始め、やがて「デイヴィッド」と名乗った。聖書に登場するダビデが巨人ゴリアテに立ち向かった物語から選んだ名前で、本人はそこに勇気のイメージを重ねていた。
しかし、男性として生きると決めても身体は元には戻らなかった。精巣はすでに失われ、エストロゲンによって乳房も発達していた。デイヴィッドはテストステロンの投与を受け、乳房を除去する両側乳房切除術を受けた。さらに皮膚移植などを用いた複数回の陰茎形成手術を受けた。
彼の身体には、人生の異なる時期に正反対の目的で行われた医療処置が重なることになった。乳児期には精巣を摘出され、思春期には女性ホルモンによって乳房が発達し、その後は乳房を切除して男性ホルモンを補充し、新たな陰茎を形成する手術を受けた。最初の事故は一瞬だったが、その後の治療は十数年間にわたって身体と生活を変え続けた。
男性としての生活と両親との関係
男性として暮らし始めたデイヴィッドは、次第に社会生活を築いていった。1990年9月には、三人の子どもを持つ女性ジェーンと結婚した。デイヴィッド自身は幼児期に精巣を摘出されているため生物学的な子どもを持つことはできなかったが、三人の子どもの継父となった。1997年の追跡報告が発表されたころには男性として長く生活し、結婚生活を送り、形成された陰茎には限界があったものの性生活も可能だったと報告されている。
両親に対するデイヴィッドの感情は単純な憎悪ではなかった。彼は自分に起きたことへの強い怒りを語る一方、両親が自分を傷つけようとして性別再指定を選んだとは考えていなかった。両親は事故によって息子の将来が失われたと考え、その時代を代表する専門家の助言に従った。デイヴィッドも後に、両親は自分が幸福になれることを望んでいたという趣旨の言葉を残している。両親自身も長年強い罪悪感を抱え、事故とその後の治療は家族全体に影を落とした。
デイヴィッドがより強く批判したのは、自分の人生を理論の証明として扱った医療のあり方だった。1990年代になると、ハワイ大学の性科学者ミルトン・ダイアモンドらが本人のその後を追跡し、1997年に長期追跡論文を発表した。そこでは、かつて正常に女性として発達したとされた子どもが、実際には女性としての生活を拒み、14歳から男性として生きていたことが明らかにされた。
デイヴィッド自身も匿名の症例であり続けることをやめ、1990年代後半から公の場で自分の経験を語り始めた。2000年にはコラピントが取材をまとめた『As Nature Made Him: The Boy Who Was Raised as a Girl』を出版し、「ジョン/ジョーン」と呼ばれてきた人物がデイヴィッド・ライマーという実在の男性であること、その幼少期から成人までの経過が広く知られるようになった。本人が公表に協力した背景には、意思を表明できない幼い子どもに同じような不可逆的治療が繰り返されることを防ぎたいという思いがあった。
双子の弟の死、そして38歳で迎えた最期
男性としての生活を築いた後も、幼少期の経験が消えたわけではなかった。デイヴィッドは、自分の身体の一部を本人の意思とは無関係に失ったことや、長年自分の出生を知らされなかったことについて、成人後も強い怒りと苦痛を語っている。男性として戻るために繰り返した手術も身体的・心理的な負担となり、若いころには自殺未遂も経験したと報じられている。
さらに2002年、双子の弟ブライアンが薬物の過量摂取によって死亡した。ブライアンには精神疾患の治療歴があり、幼少期には兄とともにマネーの診察を受けていた。弟の死はデイヴィッドに大きな打撃を与え、家族によれば彼は頻繁に墓を訪れていた。その後、仕事を失い、投資の失敗による経済的な問題を抱え、妻との関係も悪化した。
2004年5月4日、デイヴィッドは38歳で自死した。死亡時には弟の死、失業、経済問題、夫婦関係の悪化などが重なっていた。幼少期から受けた治療やマネーとの診察についても、本人は生涯にわたる苦痛として語っていた。
デイヴィッドの死から2年後の2006年、ジョン・マネーも84歳で死亡した。マネーは性科学へ大きな影響を与えた研究者だったが、晩年にはライマー事件をめぐる批判がその業績について回った。かつて成功例として世界に知られた「ジョン/ジョーン症例」は、本人の実際の人生が明らかになるにつれて、医学史上もっとも論争的な性別再指定の事例の一つとなった。
デイヴィッド・ライマーの人生を決定づけたのは、生後8か月の手術事故だけではなかった。その事故の後、専門家が示した理論を両親が信じ、2歳にもならない子どもの精巣が摘出され、十年以上にわたって女性として育てられた。思春期には女性ホルモンを投与され、本人が出生の秘密を知った後には、今度は男性として生きるためのホルモン治療と手術を繰り返した。
かつて医学界では、彼の人生は「養育によって性別を変えられる」ことを示す成功例として紹介されていた。しかし実際の本人は、その性別を拒み続けていた。専門家によって語られた症例と、その症例として生きた本人の経験との間には、大きな隔たりがあった。
デイヴィッド・ライマー事件が現在まで語り継がれているのは、その隔たりが明らかになったからである。一度失われた身体をどうするかという問題から始まった治療は、やがて一人の子どもの名前、服装、身体、ホルモン、家族の秘密にまで及んだ。そして、その決定の中心にいたはずの本人だけが、自分に何が起きているのかを知らされていなかった。
出典
Milton Diamond, H. Keith Sigmundson — Sex Reassignment at Birth: Long-term Review and Clinical Implications
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https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9080940/William G. Reiner, John P. Gearhart — Experiment of nurture: ablatio penis at 2 months, sex reassignment at 7 months, and a psychosexual follow-up in young adulthood
Journal of Urology, 1998
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9651461/John Colapinto — As Nature Made Him: The Boy Who Was Raised as a Girl
HarperCollins, 2000Sandra G. Boodman — A Terrible Accident, A Dismal Failure
The Washington Post, 2000
https://www.washingtonpost.com/archive/lifestyle/wellness/2000/02/29/a-terrible-accident-a-dismal-failure/83850bc4-b27a-417e-ba85-3693a4cafdd0/Elaine Woo — David Reimer, 38; After Botched Surgery, He Was Raised as a Girl in Gender Experiment
Los Angeles Times, 2004
https://www.latimes.com/archives/la-xpm-2004-may-13-me-reimer13-story.htmlPhil Gaetano — David Reimer and John Money Gender Reassignment Controversy: The John/Joan Case
Embryo Project Encyclopedia, Arizona State University, 2017
https://embryo.asu.edu/pages/david-reimer-and-john-money-gender-reassignment-controversy-johnjoan-case




