悪魔崇拝者が児童性的虐待に関与?80年代米国を混乱させた「サタニック・パニック」

悪魔崇拝者が児童性的虐待に関与?80年代米国を混乱させた「サタニック・パニック」 社会
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悪魔を崇拝する秘密結社が各地で子どもをさらい、地下室では性的虐待や拷問が行われ、ときには動物や人間まで生贄にされている――。1980年代のアメリカでは、そんな話が単なる都市伝説ではなく、警察や裁判所、心理療法の現場にまで入り込んだ。保育施設の職員や親たちが次々と疑われ、何十人もの「悪魔崇拝者」がいるとされた事件も起きた。のちに「サタニック・パニック」と呼ばれる社会現象である。

その背景には、現実に起きていた児童性的虐待への関心の高まり、家庭の外に幼い子どもを預ける機会の増加、行方不明児への不安、保守的な宗教文化における悪魔への恐怖、刺激的な報道、そして心理療法における「失われた記憶」という考え方があった。実在する社会問題と、そこから広がった想像上の脅威が結びつき、「悪魔崇拝者が組織的に子どもを虐待している」という物語が形づくられていった。

なぜ1980年代のアメリカは「悪魔」を信じる準備ができていたのか

サタニック・パニックの土台になったのは、児童性的虐待をめぐる社会の見方が大きく変わったことだった。1950~60年代のアメリカでは、子どもに性的な危害を加える人物として「見知らぬ変質者」が強く意識されていたが、1970年代になると、女性運動や児童保護運動、家族内暴力に関する研究などを通じて、加害者が親や親族、教師、聖職者といった身近な人物である場合もあることが知られるようになった。米上院の1986年の報告書も、わずか10年ほど前まで児童性的虐待は一般社会からほとんど見えない問題だったと振り返っている。1980年代に入ると、警察や児童保護機関、議会、新聞、テレビが積極的に取り上げるようになり、通報件数も増えた。これは虐待そのものが急に増えたというより、それまで隠れていた事件が表に出るようになった影響が大きいと考えられている。

同じ時期、子どもの生活環境も変わっていた。米保健福祉省の資料によれば、6歳未満の子を持つ就労女性は1976年の約540万人から1984年には約800万人へ増加し、それに伴って保育施設の需要も広がった。母親の就労や保育施設そのものが問題だったわけではないが、社会がこうした変化に慣れていく途中で、「親の目が届かない場所で幼い子どもに何が起きているのか」という不安も生まれやすくなった。実際に保育施設で性的虐待事件が起きれば、その不安はさらに強まった。

そこへ「行方不明児」をめぐる恐怖も加わった。1970年代末から80年代にかけて、子どもの失踪事件がテレビや新聞で大きく報じられ、牛乳パックに行方不明児の写真を載せる活動も全米に広がった。ただし、社会で語られた「行方不明児」の数字には家出や親による連れ去りなども含まれており、見知らぬ人物による誘拐だけを示していたわけではない。それでも報道では、正体不明の大人が子どもを突然さらう事件が強く印象づけられ、「自分の知らないところに子どもを狙う危険な人物がいる」という感覚が広がっていった。

この「見えない加害者」のイメージに、宗教的な悪魔観が重なった。当時のアメリカでは、福音派をはじめとする保守的キリスト教勢力が社会的な影響力を強めており、一部ではロック音楽、ヘヴィメタル、ゲーム、映画、新宗教などが「悪魔主義」と結びつけて語られた。やがて警察官や心理療法家、宗教活動家の中にも「悪魔崇拝カルト」の専門家を名乗る人物が現れ、研修会や講演を通じて「秘密のサタニスト集団が全国で活動している」という情報が広がった。1985年にはABCのテレビ番組『20/20』も、多数の悪魔崇拝集団が動物殺害や人間の生贄を行っているという主張を全国放送で取り上げている。

こうした社会状況の中で大きな影響を与えたのが、1980年に出版された『ミシェル・リメンバーズ』だった。精神科医ローレンス・パズダーと患者ミシェル・スミスの共著で、治療を続けるうちにスミスが幼少期の「失われていた記憶」を取り戻し、悪魔崇拝者たちによって長期間虐待された経験を思い出したという内容である。現在では、その出来事を裏づける独立した証拠は確認されていないが、「幼少期の悪魔的虐待の記憶は心の奥に封じ込められ、大人になって心理療法を受けることでよみがえる」という考え方を広める一因になった。

『ミシェル・リメンバーズ』がサタニック・パニックを一から生み出したわけではない。児童性的虐待への不安、保育施設への警戒、行方不明児への恐怖、悪魔に対する宗教的なイメージ、そして心理療法への期待といった要素がすでに存在しており、この本はそれらを一つの物語として結びつける役割を果たした。

なぜ「悪魔崇拝」と児童の性的虐待が結びついたのか

では、なぜ悪魔崇拝者の犯罪として語られたものは、単なる暴力や心理的虐待ではなく、とりわけ「子どもへの性的虐待」だったのだろうか。これは、悪魔への恐怖が先にあって、そこへ性犯罪が付け加えられたというより、すでに大きな社会問題になっていた児童性的虐待に「悪魔崇拝」という説明が結びついたと考えるほうが自然である。

児童性的虐待が社会問題として広く知られるようになると、人々は受け入れにくい現実に直面した。子どもを傷つける人物が、暗い路地に潜む見知らぬ犯罪者ではなく、親や親族、教師、聖職者、保育者といった身近で信頼されている人物かもしれないという事実である。そこへ「その人物は実は秘密の悪魔崇拝集団に属している」という説明が入り込めば、なぜ一見普通の大人が子どもにひどいことをするのかについて、分かりやすい答えを与えることができた。

当時一般社会で想像された「サタニスト」は、現実に存在する特定の宗教集団というより、「社会の道徳をすべて逆さまにする存在」として描かれていた。性に関する禁忌、子どもへの加害、血、動物殺害、墓地、人間の生贄などが一つのイメージにまとめられ、「悪魔を崇拝する者なら、あらゆる禁忌を破るはずだ」という考え方が作られていった。実際には、サタニズムと呼ばれる思想や宗教にはいくつもの系統があり、児童虐待や人間の生贄を教義としているわけではない。

この物語を強めたのが、一部の心理療法で使われた「抑圧された記憶」という考え方だった。当時、一部のセラピストの間では、現在抱えている精神的な問題の背後には、本人が思い出せない幼少期の性的虐待があり、それを治療によって思い出せる場合があると考えられていた。幼少期の出来事を後になって思い出すこと自体はあり得るが、その後の記憶研究は、人間の記憶が録画映像のように保存されるものではなく、後から与えられた情報や質問の仕方によって変化する可能性があることも示している。

とくに、質問者が「あなたは虐待されたはずだ」という前提を持ち、同じ質問を何度もしたり、具体的な場面を想像するよう求めたり、否定的な回答を受け入れなかったりする場合は注意が必要になる。そうした状況では、本人が実際には経験していない出来事についても、記憶らしい感覚が生まれる可能性がある。そのため一部では、「現在の心理的問題」から「幼少期の性的虐待」、さらに「儀式的な虐待」、「悪魔崇拝集団の関与」へと、説明が少しずつ広がっていった。

現実の犯罪と「悪魔」の物語

サタニック・パニックが広がった時代に、児童性的虐待や猟奇的な殺人そのものが架空だったわけではない。1980年代前後には、家庭、学校、保育施設、宗教施設などで実際の児童性的虐待が明らかになり、カトリック司祭ギルバート・ゴーテが多数の少年を性的に虐待した事件なども大きく報道された。悪魔崇拝とはまったく関係のない事件だったが、「社会から信頼されている大人が長期間にわたり多数の子どもを虐待することが現実にあり得る」という事実を、人々に強く印象づけた。

同じ時期には、連続殺人犯リチャード・ラミレスのように悪魔的なシンボルを好み、犯行現場や法廷でサタニズムを思わせる言動を行った犯罪者もいた。また1989年にはメキシコのマタモロスで、麻薬密輸組織が魔術的な儀式の中で複数の人間を殺害していた事件が発覚している。ただし、これらはどれも個別の犯罪であり、全米各地の事件を結ぶ巨大な悪魔崇拝組織の存在を示すものではない。サタニック・パニックでは、実在した児童虐待、殺人、性的暴行、オカルト的な要素を持つ一部の犯罪が、ひとつの大きな陰謀の証拠であるかのように結びつけられていった。

FBI行動科学部門のケネス・ラニングも、長年の捜査経験からこの二つを分けて考える必要があると指摘している。悪魔主義やオカルトに関心を持つ犯罪者が存在することと、秘密の悪魔崇拝組織が全米で子どもを組織的に誘拐し、性的虐待や殺人を行っていることは別の話である。後者については、長年の警察捜査にもかかわらず、それを裏づける物的証拠はほとんど確認されなかった。

全米を騒がせた「悪魔的虐待」事件

サタニック・パニックを象徴する事件として最もよく知られているのが、カリフォルニア州のマクマーティン幼稚園事件である。1983年、一人の母親が「息子が保育施設の職員から性的虐待を受けた」と警察に訴えたことから捜査が始まり、多数の在園児や元在園児に対する聞き取りが行われた。その過程で訴えは急速に広がり、複数の職員から性的虐待されたという話に加え、地下トンネル、動物殺害、悪魔的儀式、さらには殺人を見たという話まで現れるようになった。最終的には7人が起訴されたものの、長期間にわたる裁判の末、誰も有罪にはならなかった。

後年、心理学者らが当時の子どもへの面接記録を分析したところ、特定の答えを暗示する質問、同じ内容を何度も尋ねる方法、子どもが否定した後も質問を続ける方法などが多く使われていたことが問題視された。ただし、これを理由に最初の性的虐待疑惑まで完全に架空だったと断定することには異論もある。確認できるのは、捜査が進むにつれて奇怪な儀式の話が大きくふくらみ、それを裏づける物的証拠が確認されないまま巨大事件になっていったことである。

似た問題は各地で起きた。カリフォルニア州カーン郡では1980年代、複数の家族が児童性的虐待の疑いで摘発され、多数の成人が有罪判決を受けたが、その後、子どもへの誘導的な聞き取りが問題となり、長期間服役した被告の多くが免罪された。ノースカロライナ州のリトル・ラスカルズ保育所事件でも、経営者や職員が多数の子どもを性的に虐待したとして起訴され、経営者には一時12回の終身刑が言い渡されたものの、控訴審で有罪判決が破棄され、最終的に残る訴追も取り下げられた。

これらの事件では、最初から大規模な悪魔崇拝説があったとは限らない。比較的限られた性的虐待の疑いとして始まったものが、子どもへの繰り返しの聞き取り、親同士の情報交換、捜査官や心理療法家の思い込み、マスメディア報道などを通じて広がり、被害者や加害者の人数が増え、地下室、秘密のトンネル、動物殺害、悪魔的儀式といった要素が加わっていった。

「何もされていない」と言えなくなった少年――メルビン・クイニー事件

そうした時代のただ中で起きたのが、冒頭で触れたメルビン・クイニー事件だった。1990年前後、テキサス州サンアントニオでクイニー夫妻の関係が悪化し、子どもたちは児童保護当局の関与を受けるようになった。やがて父親メルビンが悪魔的なカルトに関与し、子どもたちを性的に虐待したという話が浮上する。息子ジョン・パーカーと妹サラは、児童保護関係者、警察、心理療法家などから繰り返し事情を聞かれた。

成人後のジョンによれば、当初は「何も起きていない」と答えていたが、その答えでは周囲の大人が納得してくれなかったという。質問を繰り返されるうち、「父親は悪い人間である」「自分は虐待された」「楽しい記憶だと思っているものも、恐ろしい記憶を隠すために置き換えられたものだ」といった説明を受けるようになった。そして1991年、ジョンは裁判で父親から性的虐待を受けたと証言した。悪魔崇拝や儀式殺人そのものが裁判で証明されたわけではなく、実際にメルビンが有罪となったのは子どもに対するわいせつ行為だったが、懲役20年を言い渡され、8年間服役した後も性犯罪者として登録され続けた。

家族が再び連絡を取り合うようになったのは、それから長い年月が過ぎてからだった。ジョンとサラは過去の裁判記録を読み返し、当時の出来事について話し合う中で、自分たちの「記憶」に疑問を持つようになる。ジョンにとって特に衝撃だったのは、裁判記録に残された自分自身の証言だった。記憶の中では、子どものころ自分から体験を詳しく説明したと思っていたが、実際の記録には、大人から質問を受け、「はい」「いいえ」「覚えていない」と答えている場面が数多く残っていた。

2022年の免罪審理で、ジョンは父親から性的虐待を受けたことはなかったと証言し、妹サラも同じ証言をした。ジョンはさらに、当時、父親が自分以外にも多くの子どもを虐待していると聞かされ、裁判所へ行けば多数の被害者がいると思っていたが、実際にはそうではなかったと振り返っている。2023年2月15日、テキサス州刑事控訴裁判所は、メルビン・クイニーが「明白かつ説得的な証拠」によって実際に無実であることを証明したと認定し、有罪判決を破棄した。同年4月には検察が起訴を正式に取り下げ、その後、クイニーには約122万ドルの州補償も認められた。

約30年前、10歳だった少年の証言によって父親は刑務所へ送られた。その少年が成人して再び法廷に立ち、「父は何もしていない」と証言することで、事件はようやく決着した。

人間の記憶はどこまで変わるのか

クイニー事件を「子どもが嘘をついた事件」とだけ見ることはできない。ジョン自身、長い間、自分が虐待を受けたと考えていたからである。そこで問題になるのが、人間の記憶がどのように作られ、変化するのかという点である。

現在の心理学では、記憶は過去の出来事をそのまま保存するビデオ映像ではなく、思い出すたびに再構成されるものだと考えられている。後から聞いた情報、他人の説明、繰り返された質問、写真、想像などが元の記憶に入り込む場合がある。一方で、幼少期に実際に経験した出来事を長期間思い出さず、後になって想起することもあり得る。そのため、「後から思い出したから偽物」「本人が鮮明に覚えているから本物」と単純に判断することはできない。

2023年には、実際には経験していない自伝的出来事の記憶を形成させる30件の実験研究をまとめたメタ分析が発表され、回答を求める圧力や誘導的なイメージを用いる条件では、非誘導的な条件より偽記憶が形成されやすい傾向が確認された。また、有名な「ショッピングモールで迷子になった」という架空の幼少期記憶を使った実験についても、同年に事前登録された追試が行われた。123人に、本当に起きた幼少期の出来事と、家族から聞いたように装った架空の迷子事件を提示したところ、研究者の判定では35%が完全または部分的な偽記憶を形成したとされた。

この割合を児童性的虐待の記憶にそのまま当てはめることはできない。ショッピングモールで迷うことと深刻な性的虐待では、出来事の性質が大きく違うからである。この種の研究から分かるのは、人間の記憶が外部から与えられる情報の影響を受ける場合があるということだ。

こうした知見を踏まえ、現在の児童司法面接では、「何があったのか話してください」といった自由回答型の質問を中心にし、質問者が答えを暗示しないことが重視されている。子どもが「覚えていない」「分からない」「それは違う」と答える余地を残すことも重要である。サタニック・パニックの時代には、子どもが「虐待された」と言えば証拠とされ、「されていない」と答えても、怖くて話せない、記憶を抑圧している、加害者をかばっている、と解釈されることがあった。これでは、どのような答えが出ても最初の仮説が正しいことになってしまう。

「悪魔」が消えても残った教訓

1990年代になると、サタニック・パニックは次第に勢いを失った。FBIをはじめとする法執行機関が長年調査しても、全米規模の秘密の悪魔崇拝組織が大量の子どもを誘拐し、性的虐待や殺人を組織的に行っているという主張を裏づける証拠は確認されなかった。大規模な保育施設事件でも、有罪判決が覆されたり、訴追が取り下げられたりする例が相次いだ。

この騒動を広げたのは、架空の問題だけではない。現実に存在する児童性的虐待への恐怖があり、そこへ宗教観、報道、心理療法、捜査機関、専門家、家族の不安が重なったことで、「さらに背後には大きな秘密組織があるのではないか」という考えが広がっていった。

FBIのケネス・ラニングは、サタニック・パニックの最中から二つの危険を警告していた。本当に虐待を受けた子どもの訴えを無視してはならない一方で、悪魔崇拝や巨大な秘密組織という思い込みに引きずられ、証拠の乏しい話を事実として扱ってもならない。そうなれば、無実の人を犯罪者にするだけでなく、現実に存在する児童性的虐待を正確に調べ、本当の加害者を見つけることも難しくなる。

サタニック・パニックが示したのは、強い恐怖が広がったとき、警察や裁判所、心理療法といった事実を慎重に確かめるべき場所でも、先入観に合う情報ばかりが集められることがあるという危険だった。

出典

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